1400年の温泉地でブラボー!な体験漬けの
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有馬は「門前町」でもあると思い知る。

有馬・クアワーケーション 
体験レポート

古墳と古代オタクのライターが、有馬温泉が取り組んでいる「有馬・クアワーケーション」を体験。取材をし、温泉に浸かり、
美味しいものを食べ、さまざまに用意された愉しきプログラムに参加した充実の日々をレポートに綴ってみた。

坐禅

行基(ぎょうき)上人が開祖といわれる有馬最古の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺、温泉寺は、メインストリートから坂道を登っていった寺町界隈に建つ。
今日はこちらのご住職・浅野英俊さんから手ほどきを受けて、座禅を体験する。
靴下を脱いで、まずは姿勢から。「半跏趺坐(はんかふざ)」のかたちに、片足を他の足の股(もも)の上に組んですわる。

その後、右の手のひらに左手をのせて、両手の親指の先を自然にあわせて印を組む。組み合わせた手は、下腹部のあたりに軽く触れる感じで、「丹田(たんでん)」を感じながら腹式呼吸を続ける。視線に背筋がすっと伸びてくる感がある。
「目線はまっすぐ見つめた視線を落としたあたりに」
ご住職の声のあと、しんとした本堂に、鐘の音が三つ響き、坐禅が始まる。
ご住職が火を点けた線香の芳しい香りがゆっくりと巡ってくる。

最初は、当然のことながら雑念が頭の中を行き来する。「あの原稿の締切いつやっけ?」とか、「請求書を出さなくちゃ」などという、雑事雑念が頭を駆け巡る。目線もなかなか定まらないし、体が揺れているように感じたりする。
でも、ゆっくり深い呼吸を続けるうちに、ふっと何も考えていない瞬間が訪れる(ような気がする)。
そんな気がした途端、鐘が鳴ってしまった。

休憩の間に、ご住職が少し話をしてくださる。線香が1本燃え尽きる時間を「一炷(いっちゅう)」というそうだ。一炷がちょうど坐禅1回の時間になるという。なるほど、一定の速度で燃焼していく線香は、時計の役割も果たしているのだな。
通常は、一炷がおおよそ40分ぐらいだそうだが、今回は体験なので、10分を2回、行った。10分間は早いような気もするし、長いような気もした。

鐘が鳴って再び座禅が始まる。不思議なことに、今回は目線がスッと定まり、体の位置も定まっているように思う。全く「無」というわけにはいかないけれど、心を落ち着けて、静かに座ることができた。

よく座禅で見かける体を叩く棒は警策(きょうさく)という。雑念で体が動いたときなどに喝を入れていただくものだ。座禅の最後にお願いしてみる。
合掌して半跏趺坐を組んだまま、深くお辞儀をするように体を前に折る。肩甲骨まわりに警策が当たっているなと思った途端、ぱしん!と小気味よい音がする。
全く痛くないと言えば嘘になるけれど、痛いというより、体も気持ちもしゃっきりする気がする。気持ちがいい……!
次回はもう少し、長い時間でチャレンジしてみたい。

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普茶料理

座禅のあとは普茶料理をいただく。
ご住職の浅野英俊さんは京都の黄檗宗の本山、萬福寺にて典座(てんぞ)長を務めた方で、自ら庫裏(くり)で腕をふるって、萬福寺の普茶料理を正しく伝えてくださる。

「普茶」とは「普(あまね)く人々に茶を施す」がその語源となっている。
法要や仏事の終了後に僧侶や檀家や一堂に会していただく精進料理で、隠元(いんげん)禅師が伝えたものという。

基本的に1つの卓を4人で囲み、大皿料理を分け合って食べるという様式をとる。料理が運ばれてきて、思わず目を見張ってしまった。
精進料理というので「地味な」料理を想像していたが、なかなかどうして色彩豊かで美しい。

麻腐(まふ)と呼ぶなめらかな胡麻豆腐、柿なますをいただいたあと、野菜や高野豆腐、乾物を使った何品もの料理が盛られた大皿の「笋羹」(シュンカン)が振る舞われる。これが精進料理?という多彩な味わいに驚く。
「油𩝐」(ユジ)といわれる野菜の揚げもの、「雲片」(ウンペン)という細切り野菜のあんかけそば、ごはん、つけもの、汁物、果物などが続く。なまぐさを使わぬゆえに工夫された「もどき料理」も素晴らしい。うなぎもどきは、見た目はまさしく鰻以外の何ものにも見えない。極細の揚げそうめんを栗のいがに見立てた栗の蜜煮の一皿は、まるで懐石料理のような完成度だ。

いつもなら決して摂れないような量の野菜をたっぷりいただいて、お腹も大満足。全体に昆布だしをベースにした、優しくて穏やかな味だが、それぞれにしっかりと食感、風味があって、一品ごとに丹精込められた料理は、ただ、ただありがたくて、じっくり噛みしめていただいた。

坐禅も修行。料理をつくることも、食べることも修行。
禅の精神にほんの、ほんの少しだけ、触れることができたと思う(と、思いたい)。

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